度を超えた繊細さんであり、とても面倒な私をなんとかなだめる回

こんにちは、早速のはてなスターありがとうございました。ナレハテです。 今日は腹痛に襲われていて、じっとしているしかない一日でした。 そうでなくても、じっとしているしかない日は多いですが。

度を超えた繊細さんになってしまった

今日はお昼にミスタードーナツを食べたのですが、その際、「スタバのコーヒーが合うんじゃ!」といつもと違う飲み物を用意したら口の中をやけどし、小一時間痛くて落ち込んでいました。病気になってからの私の繊細さは繊細さんを超えています。自分自身のことですが、正直扱いづらいです。

「今」「ここ」での自分の機嫌を「ご機嫌」にできるよう、努力するのが今の私の仕事です。 ヨガや瞑想である、「いまここ、いまこの呼吸」みたいなイメージです。目を閉じて、自分の呼吸を意識して、今、この瞬間にある自分を意識することで思考をシンプル化してリラックスと集中の間に到達するやつです。それです。

ご機嫌にする方法はいろいろあれど・・

ヨガ、瞑想、音楽を聴く、カラオケに行く、美味しいものを食べる、甘いものを食べる、料理する、散歩する、編み物をする‥ 薬の力をちゃんと借りる(無理をしない、痛みを我慢しない)‥ 体をあたためる、寝具をお気に入りのものに変える‥

体の内側と外側から、そしてメンタル的な部分まで。至れり尽くせりです。ね。全部やったら楽になれそうじゃないですか。でも実際はそうはなりません。完全に痛みは消えないんです。何をしていても、体の中にある気持ち悪さと、痛みに対抗しきれません。痛みを消してももやもやしたものが残るんです。 また、一瞬消えてくれるものは多いですが、全体的に中毒になりやすく、慣れやすい。だから、常に、永久に辛さから解き放たれることなんて無いんです。 絶望です。行き止まりです。

けれど、それで良いそうです。一瞬でも消えてくれれば、「気分転換として成功」らしいです。つまり、気分転換やリラックスの元は、「いまここ」にある意識を「別の場所へ移す」ことで意識を「切り替え」てあげることみたいなんですね。

見たくなかった現実

人は、本当はすごくズルい生き物なんだなぁと思います。聖人なんていないし、サマーウォーズのおばあちゃんは存在しないのです。あれは、美しい理想なのです。今でも信じたくないずるい面をいまひとつ思い出しました。それは、文章やアイデアをネットから取ってきて本にしている人たちのことです。料理のレシピに著作権がないようなもので、考え方、ツールの操作の仕方なんていうのは、「答え」であって、「どうしてその考えに至ったか」ということについて証明する必要がないんです。みんな答えだけが欲しい場面も多くあり、答えだけをまとめた書籍もいっぱいありますよね。 現役デザイナー時代に書籍を書くプロジェクトにいくつか参加させてもらったことがあって、そこでリーダー的な人が言ってました。「足りないところはネットから取ってきてもらえればいいんで。」と。当たり前のように。東京怖いなーって思いましたね。リモートで打ち合わせしてたんで東京の方か知りませんけど。

私はそのプロジェクト以降、その人達と関わるのをやめました。嫌だったから。わたしにはその人達のグループからのオファーはなくなり、その人達は書籍を書き続けていました。どっちが正しかったんでしょう。私か彼ら。書籍を書き続けた彼らのほうが結果的に本を出し続け、活動をし続けたわけですから、その人たちのほうが成功しているように見えるんですよね。そういう人たちのほうが得をしていて、何も感じていなくて、切り替えがうまくて、自分のことだけを考えていて、自分を守るのがうまい。ずるくて、商売上手で。羨ましい限りです。 そうなろうと思考を変えようとしたこともありましたが、できませんでした。だから、羨ましいのです。

なぜならナレハテはそれができないからナレハテになった

潔癖とかではなくて、そうなれなかったのがナレハテなのです。全員がうまく生きれるわけではない。ずるいことをしようとすると、心が、体が拒絶して、すごく大きなストレスを感じてしまいます。親の教育がそうさせたのか、環境だったのかはもうわかりません。いわゆる「いい人」から外れることができないんです。今の時代にはカモでしかないですね‥。小さい頃の環境を恨むことで、どうにかなるんだったら、恨んでるところです。

そんなことがあって、私はネットで本音を書くのを控えていた時期があります。いつ、誰がコピーしてくるかわからない。右クリック禁止にしたりとか、スクリプトでどうにかしようとした日もありました。けど、スクショには勝てませんでした‥。スキャンした本の文字をevertnoteで検索できる世界で、コピー禁止とか無理ゲーです。被害妄想。疑心暗鬼。すべてを疑っていました。

それでも発信することで収入を得ていた部分もあったので、完全に切り離すことはできず、一生懸命に書いてまとめた文章については、「コピーされても仕方がないんだ」と、なぜか公開前から被害者になることを覚悟して公開していました。なんて不器用な世界なんでしょうか。今も結構そういうことはまかり通っている気がして、こんな駄文でも書こうとすると一瞬過去のあの人のあの一言がよぎったりしています。

さて。疲れたのでこのへんで切り上げます。 今日も読んでくれてありがとうございました。